どうして最近よく日記を書くのか

 実はまだ三日坊主の期間内なのです。

 先日、外山滋比古さんの知的生活習慣という新書を読んだからなのです。冒頭の章が「日記をつける」(笑)

『日記には、心覚えのためでなく、むしろ、忘れて頭を整理する効用がある。書き留めてしまうと、心のどこかで「もう安心、記録してある」とささやく声がして、本人は知らないが、ゴミ出しが進む。』

 ゴミ出しと言えば、娘から言われている。「将来引退したら(私ではなく娘が)実家に住むかもしれないので、売らずに残しておいて。だけど中身はいらないから、皆捨てておいてね」

 今孫守りの手伝いで娘達の家の長期滞在することが多く、最近ではホームレスの知恵をつけてしまった。旅行するときの必需品と同じように、娘宅で気楽に生活するには、「爪切りどこにあるの」と聞かずに済むように、こまごまとした身の回り品を携えていくのが一番。100円ショップで売っている小分け袋にいれ、それをポンポンとキャリーに放り込んで、電話一本の「出張育爺」に出発。

 脱線したが、そうやって生活してみると、本当に必要な物って本当は少ないんだ、という事に気が付く。

 引っ越し貧乏って言うけど、引っ越しをしすぎて費用がかさんで貧乏になるというけど、実はそうではなく、「無駄なものを携えていかなくなって、本当に必要なものしか残らない」というスリム化の作用があることではないかな、と最近思っている。

 町ですれ違うホームレスの皆さんと同じように、キャリー一つで生活できます、と気が付いた。

 今のところ、しがらみまでは捨てきってないので、家族のありがたみの中で生活してますが、日記をつけて、頭の中のスリム化が進むと、ホント、すがすがしい気持ちになっていく。良い往生ができるのではないかと感じています。

 この新書を神棚に飾って。日記が続きますように。パンパン、礼。