新聞記事の結び方

記事のこんな結びの書き方には要注意:客観的ではない!

 1) 今後各方面の批判を呼びそうだ。
 2) この件論議を巻き起こすに違いない。
 3) といった狙いがある、との見方がある。
 4) 今後を占う意味で注目される事態だ。
 5) といった点は当事者にとって最大の難問になる。
 6) この結果は今後の行方にも影響しそうだ。
 7) より一層の責任が問われる。
 8) といった声が多く、このままだと一波乱ありそうだ。
 9) など事態の悪化は避けられそうにない。
10) 予想以上に厳しい状況に追い込まれている。

 

出典:

差出人: 渡部亮次郎 [メルマ!:00108241]
日時: 2016年12月28日 7:54:59 JST
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新聞の責任
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 渡邊 好造

大学在学中の約60年ほど前のことだが、M新聞記者を永年経験された方の 週1回1時間半の4回集中講義「新聞学」を受講したことがある。

その講義の評価は、論文提出であった。

テーマは「新聞の責任」で、中味は自由。後で分ったことだが自分の意見 が述べられていれば、たった一行だけでも優良可の最高合格点”優”が与え られた。

この時筆者が提出したのは、「記事は客観的に記述するのが新聞の責任」 であった。

記事の書き方に、記者個人の考えへ誘導しようとするかのような書き方は 気に入らない、といった内容である。

例えば記事のこんな結びの書き方―。

 1) 今後各方面の批判を呼びそうだ。
 2) この件論議を巻き起こすに違いない。
 3) といった狙いがある、との見方がある。
 4) 今後を占う意味で注目される事態だ。
 5) といった点は当事者にとって最大の難問になる。
 6) この結果は今後の行方にも影響しそうだ。
 7) より一層の責任が問われる。
 8) といった声が多く、このままだと一波乱ありそうだ。
 9) など事態の悪化は避けられそうにない。
10) 予想以上に厳しい状況に追い込まれている。

といった表現の仕方だ。

客観性がなく、なんの根拠も示さずにまるで、世論がその方向に向かって いるかのような記事の結び方はケシカラン、という他はない。

改めて50年前のことを思い出しながら最近の新聞を読んでみると、今も こうした表現の仕方は変っていないことに気づかされる。

1)~10)のような見解には根拠が必要なのに、どう読んでも記者個人の 意見なのではないかと思わせる場合がある。

社会面や経済面でも散見するが、納得のいかないケースは政治面に多い。

こうした気になる記事の書き方は未だに残っていて、上から目線で読者を 馬鹿にしているように感じる。

新聞は週刊誌の視点と同じであってはならない。

当り前のことだが、記事内容は客観的な論拠を示すことが肝要で、もし記 者個人の意見を述べ、世論を誘導したいなら氏名を明記したそれなりの コーナーを設けるか、”社説”として掲載すべきではないか。(完)

120歳ぐらいが限界寿命

naverまとめに最近分かったような話が載っていたんだが 

   http://jp.wsj.com/public/page/0_0_WJPP_7000-458352.html

   https://matome.naver.jp/odai/2133967745629778801

私が読んだ本には(岩波新書 祖父江逸郎著 長寿を科学する 2009年9月18日発行)

生存率曲線の変遷の話が載っていて、グラフを見せながら年齢別の生存率の変遷を紹介しており、『寿命の伸びとともに、生理的老化が比較的長く自然な形で保たれ、病的老化の比較的少ない、つまり病気にかかることが少ないライフスタイルが次第に浸透しつつ・・・人生最後の死を高齢で、「垂直死」という形でむかえる傾向に近づきつつある。』

寿命の指標(限界)ということでは、

『生物の寿命は成長期間の6倍ぐらいと言われている。人の成長期間を20年前後とすると120歳ぐらいが限界寿命という事になる』と。

私にとって120歳は新しい話ではなかったので、ここにメモしておきました。

 ただ私が120歳になるころには、遺伝子技術でブレイクスルーされ、無限の寿命になっているかもしれませんね。楽しみ楽しみ(笑)

 

自分のことは棚にあげて

 この日記を書き始めて、何となく「色々書くけれど、我が身を振り返ると、自分はそこまで言い切ってもいいのだろうか」と、そんな気持ちを感じていた。色々な資料を基にして言うわけでもないし。

 

 五木寛之の「新老人の思想」を読んでいたら、

『「自分のことは棚に上げて」というのが、私の日頃のモットーである。

・・・。しかし、自分でこれだ、と思ったことは人に伝えたい。・・・

 出かかった言葉を飲み込んで、黙っているか。それとも「自分のことは棚に上げて」、目をつぶって口にするか。・・・

 「自分のことは棚に上げて」と、覚悟を決めるのだ。それしかないではないか。』

とあった。

 

この言葉をいただいて、我が日記の居直りの言葉にしようと。

どうして最近よく日記を書くのか

 実はまだ三日坊主の期間内なのです。

 先日、外山滋比古さんの知的生活習慣という新書を読んだからなのです。冒頭の章が「日記をつける」(笑)

『日記には、心覚えのためでなく、むしろ、忘れて頭を整理する効用がある。書き留めてしまうと、心のどこかで「もう安心、記録してある」とささやく声がして、本人は知らないが、ゴミ出しが進む。』

 ゴミ出しと言えば、娘から言われている。「将来引退したら(私ではなく娘が)実家に住むかもしれないので、売らずに残しておいて。だけど中身はいらないから、皆捨てておいてね」

 今孫守りの手伝いで娘達の家の長期滞在することが多く、最近ではホームレスの知恵をつけてしまった。旅行するときの必需品と同じように、娘宅で気楽に生活するには、「爪切りどこにあるの」と聞かずに済むように、こまごまとした身の回り品を携えていくのが一番。100円ショップで売っている小分け袋にいれ、それをポンポンとキャリーに放り込んで、電話一本の「出張育爺」に出発。

 脱線したが、そうやって生活してみると、本当に必要な物って本当は少ないんだ、という事に気が付く。

 引っ越し貧乏って言うけど、引っ越しをしすぎて費用がかさんで貧乏になるというけど、実はそうではなく、「無駄なものを携えていかなくなって、本当に必要なものしか残らない」というスリム化の作用があることではないかな、と最近思っている。

 町ですれ違うホームレスの皆さんと同じように、キャリー一つで生活できます、と気が付いた。

 今のところ、しがらみまでは捨てきってないので、家族のありがたみの中で生活してますが、日記をつけて、頭の中のスリム化が進むと、ホント、すがすがしい気持ちになっていく。良い往生ができるのではないかと感じています。

 この新書を神棚に飾って。日記が続きますように。パンパン、礼。

上から目線とポピュリズム

小学館発行の「本の窓」というPR誌(無料/月100円で郵送)に連載されている僧侶小池龍之介さんの思い込み突破法16回を見て。

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 今月の思い込み:「『上から目線』の物言いはけしからんもんで、反発して当然だ」

 

 「上から目線」と感じるかは、それを感じる本人の、傲慢さの度合いに応じて変動するようだ。本人が「ひとかどの、経緯をもって接せられるに値する人物でなのであるッ」と思い込んでいるためにこそ、他人のちょっとした傲慢さに対して、過敏になる。

 「その物言いは、立派な私に対して失礼だ」「この態度は、尊重されるべき私に対して、生意気だ」というのは、これこそが「上から目線」と一刀両断するときの裏のメッセージであり、隠れた本音なのです。

 みんな、自分が王様にでもなったような錯覚をしていて、相手が自分のためにすべてを分かりやすく、説明してくれるべきだと、尊大極まりない思い込みをしている時代である。

 このような慢心の評価基準で他人を裁くことの弊害は一目瞭然であり、”うまく演じてへりくだり、大衆の機嫌を損ねないで済むような人ばかりが、良好な評価を受けかねません。”

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 最近のTVを見てると軽くこのフレーズが使われているような気がします。今まで私も何となく笑いを誘うトークだなと聞き逃してきましたが、

 「この大衆の機嫌を損なわない」にチョット引っかかってしまいました。

つまり「この大衆の機嫌を損なわない」をうまくハンドリングし、「大衆の一面的な欲望に迎合し,大衆を操作することによって権力を維持する、これが大衆迎合主義」と言われるものです。

 今、民族主義ナショナリズムの動きが世界で大きくうねっていますが、その動きと重なると、大きく社会が振れるのではないかと心配です。

 誰かがうまくやる前に、我々の方が、甘い言葉を求めているという状態になってる!それでは困る!

 この状況をうまく利用する扇動がうまい政治家が出てくると、ちょっと大変な事態になりかねないな、と感じました。

 小池さんは、上記方向の話ではなく、

 「上から目線!」と感じた時、ひょっとすると己の傲慢さゆえに、相手のメッセージを受け止め損ねているのではないかしらと、自己点検するチャンスだとすら言えると言われる。

 「自分は一体、相手の何を、そんなにも受け止めたくないと躍起になっているのだろう」

 相手が人の話をあまり聞かずに自負していることを話し続けても、その内容として聞くべきところを見つけるように努め、それに対して頷いていった方が、良いのではないのでしょうか。

 

 話の落ちがどこだか分からなくなりましたが、「上からめせーん」と言った時、その裏に自己の慢心があることに気付き、視線を180度回転んし、心を柔らかく開き、理解することで、安寧な毎日、安寧な世の中にしていきたいものです。

 

郵便物の転送とアマゾンでの1冊の本

 最近アマゾンで色々買うことが多く、プレミア会員になっている。本1冊でも送料無料で送ってくれるので重宝している。

 ところが今回買った1冊の本が届かないという事件が起きた。

 本が1冊なので、ゆうメール便で来たらしかった。翌日配達されるので今週はまだ娘宅にいるので、娘方私という宛名で送ってもらった。

 ところが宛て先不明でアマゾンに戻ってしまった。

 色々調べたらことの顛末は次の通りであった。

・郵便局には「配達原簿」というものがあり、それに私の名前が載ってなかった。

・どうして載ってなかったかというと、昨年は孫守りで長女宅に逗留する日が多く、自宅に郵便物を取りに戻るのが面倒だったので、郵便の転居届を出して転送してもらっていた。

・ところがこの転送は、区役所・クレジット会社等からの「転送不要」という郵便物は転送しないというルールになっている。区役所から無料健康診断のお知らせが来ないのでなんとなく不審に思っていた。マイナンバーのお知らせも来ないと困ることになると、転送を止めた。

・転送を止めるという手続きは、転居届という手順しかない。このため私はここには「いない」ということになって、ゆうメールの本は家まで来ずに、郵便局で「宛先にその人はいませんよ」という事になってしまった。

・この状況から脱出するには、転入届を出すと良いらしい。転入届と言っても、転居届の旧住所を書かずに新住所しか書かない届けを出す。旧住所を書くと自宅に来るものが転送されてしまう!

・そうすると、自宅にも、娘宅にも私という人間がいるという状況に持ち込める。

・住民票と違って1ヶ所にしか出せないという事はないらしい。

・この方法を取る前に(ネットで調べる前に)昨夜クレームの電話を掛けたので、郵便局から「居住確認のお伺い」という定型の連絡はがきを送って来てくれた。明日出しに行けば一件落着。

・本はというと、すでにアマゾンに戻っており、クレジットはキャンセルという事になっていた。

・もう一度、同じ本を頼み、無事届けば一件落着。

・郵便局の窓口の方にクレーマーもどきの苦情を言ってしまったのが、勇み足だった。

里心3

大学、高校と旧友たちに会って、次は中学。

 中学の同窓会は、大学時代は名古屋にまだ居たので、当時同窓会の幹事をやっていた。

 だけど就職で上京した時に、クラスの誰にも引き継ぎをしなかった。先日古い写真を整理していたら、クラス会に行った時の写真が出てきた。差し上げる分の枚数があった!皆に配るという仕事をし残している。

 中学校の学区は大須から金山、鶴舞から堀川までのエリア。散策してみたが、道路も広くなり、マンションが多く建ち、昔から同じところに何人住んでいるだろうか。高校水泳部のトレース以上にたどり着ける確率がかなり低いと思われる。女の子も半数いる訳だが、男性より外へ行ってしまっている確率が高い。

 卒業時の担任の先生は当時すでに高齢で、後で聞いたがもう亡くなられている。お葬式にも行けずにゴメンナサイ。

 今名古屋にリタイアで帰郷すれば、足に任せて色々トレースできるだろうが、最初の一歩は、東京から出す往復はがきぐらいか。何枚宛先不明で戻ってくるか。まだ地元に住んでるキーマンを見つけられればいいかな。

 中学校の全体の同窓会は存続しているかな?当時の同窓会の会長だった方のお店はずいぶん前に無くなっており、全く消息も確かめないまま今日に至っている。

 先ずは、大学出たときにまだ付き合いがあった友人宅を、突然訪問することにした。卒業時は別のクラス。

 運よく在宅。どうして今まで会いに行かなかったのか?

 会社勤めの時は、心に余裕がなかった。年子の弟がいるが、私のその遊び仲間は一応彼に引き継いだ形にして地元を離れた。その仲間に会いにだけ帰郷することはできなかった。帰郷すると実家に帰り、親との交流、子供ができたら親に合わせに行く。弟が結婚し実家に住むようになるともう自分の部屋も無くなる。女房の実家のほうにも顔を出さないといけない。出張の時にはとんぼ返り。盆正月は当方も忙しいが友達皆も同じように忙しいだろうと勝手に考えてしまう。そして、ついついご無沙汰。

 退職して時間ができた?里心がついた?

 彼のクラスは数年前にクラス会をやったそうだ。幹事の私が無責任にいなくなってしまった私のクラスはどうなっているだろう。誰かが、沢田君あたりがひょっとしたらやっているかも、なんて勝手な想像。

 久しぶりに会って、つかえがとれた。今度改めて来るよと、携帯電話番号交換。

 つかえがとれた勢いで、次の日、年賀状はやり取りしている中学時代の恩師に会ってみようと。

 住所を控えてきたわけじゃなかったので、ネットで検索。当たるものなんだね、先生の名前で検索。お二人の内お一人のおぼろげに記憶していた住所と電話番号が載っている2007年OO区電話帳に行き当たった。2012年版もあったが、その電話帳には載ってなかった。いや確か今年も年賀状頂いているはずだが。

 朝一番電話してみた。

 ご健在だった。午前中に突然お邪魔して2時間程、むかし話をしてきた。何歳なのかも全然知らずにいた。お聞きしたら80歳。13歳年上だった。中学時代はまだ教師になって数年のバリバリの若手教師だったんだ。

 80歳ぐらいのご家庭だからなのか、名古屋人だからなのか、どうぞと抹茶を出されてしまった。私まったく作法を知らなくて・・トホホ

 でもやっぱり先生だな、お土産に本を2冊頂いてしまった。

 「これから『正義』の話をしよう」

 「長寿を科学する」

 孫を相手にスマホのゲームをしてて良いのかねと心の中で反省。

 

 この10月11月と名古屋へ行って昔の恩師、友人に会った。

 1年に一度はゆっくり帰郷して友人と話をしよう。