エスカレータのマナー:二人並んで乗って良いか

エスカレータのマナー:二人並んで乗って良いか

 

http://style.nikkei.com/article/DGXMZO81616470W5A100C1000000?channel=DF280120166607

エスカレータの事故が多いと言う事でマナー見直しの動きがあるようです。

私は名古屋出身ですが(もう40年以上前に名古屋を就職で離れましたが)名古屋本があると読んで一人笑っています。

最近読んだ「名古屋はヤバイ」矢野新一(ワニブックス)によると、名古屋だけは両方とも空けないんだそうです。

東京方式、大阪方式のマナーを無視した「名古屋ルール」とさげすまされてきたそうです。(笑)

実験によると、両方空けない方が、より多くの人数を運ぶのだそうです。

今後このマナーはどうなっていくのでしょうか。

事故が起きたことがあるのでしょうか、渋谷駅のエスカレータ横には、亀と兎のイラストに「ウサギさん、ここはレース場ではありませんよ」と注意書きが。

 

マナーの観点から歩くことが好ましくないと言っている方もいます。

http://www.excite.co.jp/News/bit/E1483859483130.html?_p=3

エスカレーターで「通り道」を塞ぐ人に会ったら
Q.駅のエスカレーターで、通り道となる側にはみだして立っている人がいる場合、注意すべき?
A.「エスカレーターは、本来、歩くほうがマナー違反。こちらからお願いする。」
西出さん:エスカレーターでは、本来歩くことは好ましくありません。むしろ、歩くほうがマナー違反。なぜなら、危険だからです。したがって、通り道を空ける必要は、本来はない、といえます。
昨日、エスカレーターの左側に立っていたところ、大きな紙袋を肩にかけていた女性が右を歩いてきて、その紙袋が私の身体を押すよう当たったため、転落しそうになりました。
急いでいる人のために善かれと思って片方を空けておくという習慣になっていますが、本来は安全性の面からは歩いたり、駆け上がったりしないほうがいい場所です。
やむを得ない事情で、どうしても急いでいる場合は、「申し訳ありません、失礼します」や「すみません…」とお声がけをして通してもらうよう、こちらがお願いをしましょう。くれぐれも、急いでいるからといって、立っている人たちの身体に体当たりするなどしないよう、要注意です。

 

いつわりの信憑性

何が本当なのか。メディアの責任は大きい。

 

近藤和彦さんと言うイギリス史の専門の方が、雑誌図書2017年1月号に「EUと別れる?」という記事を書かれている。その中で気になった部分があったので、引用して記憶しておきたい。

 

「 1年余りのキャンペーンを経てキャメロンは楽勝するはずだったのに、不思議な政治の化学反応が働いて、EUに反対するイギリス独立党(UKIP)のデマゴギーが浸透してしまった。この政治化学について、投票前日、6月22日の「フィナンシャル・タイムズ」が分析している。

 EU離脱という非現実的で「ばかげた選択肢」であっても、二者択一の選択肢と示され、マスコミが二者を公平に対等に扱い、何ヶ月も露出するうちに「いつわりの信憑性」が生じてきたという。

 そのうえ、現状分析や行動計画についての理性的で面倒な討論よりは、単純で(虚偽かもしれないが)わかりやすい感性的な演説や情報の方が大衆の支持を得やすい。印象的なスローガンで有権者はあおられた。 」

 

 「『ばかげた選択肢』であっても、二者択一の選択肢と示され、マスコミが二者を公平に対等に扱い、何ヶ月も露出するうちに『いつわりの信憑性』が生じてきた」が気なったところだ。

 

 トランプが、上記とは今や反対の立場、言うなれば「いつわりの信憑性」と思われていた人が大統領になったが、民主党有利というニュースを流していたマスコミを攻撃して、自分の事を高く評価しないメディアを「フェイク・ニュース」(うそのニュース)と決めつけ、質問に答えないという態度を取っている。

 つまり民主党有利という分析をしていたメディアを、今は「いつわりの信憑性」側に追いやっている。今メディアが伝えている事が、「『民主党有利という記事』と同じレベルの事実」(つまり結果的にフェイク)であったとしたら、メディアは、『ばかげた選択肢』側にいることになる(?)

 次回は民主党有利と言ったメディアが「いつわりの信憑性」で勝つかもしれない。(笑)

 

 「メディアが何を伝えるのか。どう伝えるのか」メディアの責任は大きい。

 ケンカを、対立を、あおっている場合ではない。

韓国との関係

日本と韓国、中国との関係について、歴史は繰り返す、という感を強く抱きました。

今の状況の理解の参考になれば。

 

少し長いが引用させて頂きます。

岩波新書 日本古代史⑤平安京遷都 p80 川尻秋生

「・・・これらの芸能・職能は、日本独自に発達したと考えられがちだが、そもそものはじまりにおいては中国文化の影響を強く受けていた。承和の遣唐使は、直接、政治制度の変革をもたらしたわけではないので軽視されがちだが、日本文化の成立を考える上では見過ごすことはできない。
 一方、朝鮮半島に眼を移すと、当時の新羅と日本の関係には複雑なものがあった。そもそも、新羅は唐と連合し、660年には百済、668年には高句麗を滅ぼし、ついには唐の勢力をも朝鮮半島から追い出し、朝鮮半島を統一した。その間、天智2(663)年には倭国が派逍した百済救援軍が白村江で大敗するといぅ事件も起きた。その後、935年に減亡するまでの時期を統一新羅時代と呼んでいる。日本(倭国)と新羅の関係は古墳時代まで遡るが、白村江の戦い以降、より複雑な関係がはじまった。
 日本と新羅の関係を大まかにいえば、唐と新羅の関係が良好なとき、そして新羅国内が平穏なときは関係が悪く、唐と新羅の関係が険悪なとき、新羅国内が乱れているときは、両国の関係は良好であるということになる。したがって、白村江の戦いの後、新羅朝鮮半島から唐の勢力を追い出すと、唐と新羅の関係は悪化し、日本と新羅の関係は改善した。しかし、八世紀 はじめに即位した玄宗皇帝の頃から、唐が膨張政策を止めるようになると、日本と新羅の関係 は悪化するようになった。天平勝宝5(753)年には、長安の大明宮で、日本の遣唐大使と新羅使者が席次争いを起こし、ついに藤原仲麻呂新羅遠征計画を立てたほどである。
 しかし、八世紀末に新羅国内で混乱が生じると、一転して日本との関係は好転 した。宝亀10(779)年には、「御調」を携えて使者を派遣してきた。「調」とは服属の印として献上される象徴的物品のことである。
 それではなぜ日本は新羅を属国と考えたのであろうか。それは、日本の小中華思想と関係す る。歴代の中国王朝は、自己をもっとも優れた民族•国家であると考え、周辺の国々は野蛮で劣っていると認識した。これを中華(華夷)思想といい、そのことを証するために、周辺諸国朝貢を義務づけ、代わりに官爵を与えた(册封体制)。倭の五王時代の倭国が中国に朝貢していたことはよく知られている。しかし、それ以降、島国であるという特殊性も手伝って、日本(倭国)は冊封体制に入らなかった。これは東アジアでも異例である。
 こうした歴史的背景から、倭国は中国の中華思想をまねて独自の中華思想を持つようになっ た。これが小中華思想である。その結果、新羅百済高句麗などの朝鮮半島諸国やエミシ.隼人•南島の人々を「諸蕃」と位置づけ、「朝貢」を要求したのであった。
 さて、問題が起きたのは、承和3(836)年、遣唐使を派遣する際のことであった。日本政府は、派遣に先だって、遭難した場合の保護を求める使者新羅に送った。ところが、その使者に対する返答が議政官を激怒させた。新羅がみずからを「大国」と称し、遣新羅大使三津のことを「小人」と呼んだ。これは新羅が日本を対等と認識するようになっていたことを示している。
 これに対して、日本政府は、承和9年に外交方針を大きく転換した。それまで、「帰化」の意思がはつきりしている外国人にはそれを許してきた立場を改め、以後は益本的に「帰化」を認めず、漂流民に対しても食料や衣服を与えて、追い返すことを命じたのである。この命令は『貞観格』に収められ、以後も長く先例として生き続け、日本の外交方針となつた。と同時に日本が東アジアのなかで、他の国々と国交を結ばなくなる端緒ともなつたのである。」

あなたは、普通に生活しているOOOの人たちを見たことがあるのか

 テレビを見ていると、トランプのアメリカとか、ISのイスラムとか、マスコミの報道の想定外のことやマスコミが理解できないことが起き、マスコミの敗北とか、イスラム報道自粛とか言われている。

 また色々なコメンテータ、社会学者、政治学者が語っている。

 最近読んだ『アメリカ政治の壁――利益と理念の狭間で』(渡辺 将人)と、『となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代』(内藤正典 )に共通して言われている視点があった。

 それは「『では、あなたは、普通に生活しているアメリカ/イスラムの人たちを見たことがあるのか?』と問うと、実は誰も見ていない。その国でディープサウス/移民街の中に入って話をしたことがあるかと聞いても、NOです。」

 その国に住む人たちが何を考えているかは、旅行で垣間見るだけとか、メディアからの情報だけでは、到底つかみきれないものである。

 日本って国は?日本人は何考えてるの?と外国の人に聞かれても、あなたが毎日の生活の中で思っていることとは、きっと“遊離している”というか、“そんなこと表現できない!”と言う事になる。中国で8年間暮らしてきた経験から見ても、「中国は・・」とは一言も自信をもって述べることができない。

 政治的な観点からも、中国では、「上に政策あれば、下に対策あり」、イスラムでは「いわば一般民衆は非国家化したんです。国家意識を一切持たない。異民族の支配、それが絶えず変わっている、その中で生きていくには、この支配階級の交代に影響されない体制を内部で作っていく結果になり、オスマン・トルコはそれを固定して・・」(『イスラムの読み方(山本七平加瀬英明))と言うように、

 国としてとらえたとき「普通に生活している」人たちと外から見た政府の動きとは分離していることがよくある事のようだ。

 ここに居ながらでは、いや、その国に行っても、文化的な背景も歴史も理解せずに、何も理解できない。群盲象を評す。理解はほんの断片的なものにしか過ぎない。

 色々な視点から、その国/その人々を見たり経験したひとの書いた本や情報を幅広く見聞きし、自分なりの視点を持っていきたい。

議会に戻れなければ政策も実現できない

 渡辺将人著”アメリカ政治の壁”を読んでいて、下記のくだりで、小池知事と都自民党、そして民進党の事を考えた。

 「デイビット・メイヒューは”アメリカ連邦議会”で指摘した。政治家は再選をめざして、自らの功績を主張し、立場を表明し、そして自らを宣伝する。政治家の最大の目標が再選だとすれば、候補者を誰が公認するか、選挙資源を誰が用意してくれるかが、議員の行動を規定するのは自然な成り行きだ。議会に戻れなければ政策も実現できない。再選を最優先に考えれば、選挙区に背いてまで党に忠誠を示し続ける意義は薄い。そこでは『利益』と『理念』が複雑に混ざり合ってる」

 今度の都議選に向けて、公明党自民党と一線を引いたり、自民党から新風自民党が別れたり、日本的に言うと少し節操がないと言うのかもしれないが、政治の世界ではごく当たり前の事と言えよう。

 都議会の中継を少し見ていたが、小池知事の話の内容はよく分かり、常識的な答弁だなあと、共感できるところが多かった。

 オリンピックの会場の問題では、新聞、ニュースの物言いを聞いていると、「大きく打ち上げたのに成果は大したことが無かった。」というような感じだが、費用があれだけでも削減できたというのは一都民としては、従来通りやっていては減ることもなかったものが良くやった、と言いたい。

 アメリカでは議員立法主体なので再選されれば政策の実現に近づけるが、日本では政権を取らないと政策の実現が難しい。そうすると再選戦略だけでは不足だ。

 そこで民進党なのだが、民進党は、議員の再選戦略から一レベルあげて、党の再政権党戦略という観点で考えないといけないのではないか。

 一度取った政権の時、やる気にはやり想定外の災害も重なり失敗してしまったが、次はどうする。どういう政策を実現したい。理念ではなく、意にそぐわないレベルでも成果として国民に説明できる政策への関与。〇〇反対ではなく、〇〇のこのポイントを修正してくれれば他は飲みましょう。えっ、公明党がやっているではないかと?そう、それで良いのです。少しでも自分の党の支持者に利益があるような政策に変更してもらう。そしてそれの功績を主張し、立場を表明し、そして自らを宣伝する。

 現実的な政策に少しでも関与し続けて行かないと政権は取れない。〇〇反対が始めにあっては、政権を任せられない。

 弁解ではありませんが、政治的に言うと、私自身は無党派と思っています。それは「政治的に無関心で雰囲気で投票する層の事ではない。現行の政党はすべての面でぴったりくる考えを持っていないので、候補者や選挙サイクルごとに態度を決める層である。」という説明が良く当てはまるなと言う立場です。

 今は自民党の政策に賛成する所が多いですが、それにしても民進党は、といった所です。

新聞記事の結び方

記事のこんな結びの書き方には要注意:客観的ではない!

 1) 今後各方面の批判を呼びそうだ。
 2) この件論議を巻き起こすに違いない。
 3) といった狙いがある、との見方がある。
 4) 今後を占う意味で注目される事態だ。
 5) といった点は当事者にとって最大の難問になる。
 6) この結果は今後の行方にも影響しそうだ。
 7) より一層の責任が問われる。
 8) といった声が多く、このままだと一波乱ありそうだ。
 9) など事態の悪化は避けられそうにない。
10) 予想以上に厳しい状況に追い込まれている。

 

出典:

差出人: 渡部亮次郎 [メルマ!:00108241]
日時: 2016年12月28日 7:54:59 JST
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新聞の責任
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 渡邊 好造

大学在学中の約60年ほど前のことだが、M新聞記者を永年経験された方の 週1回1時間半の4回集中講義「新聞学」を受講したことがある。

その講義の評価は、論文提出であった。

テーマは「新聞の責任」で、中味は自由。後で分ったことだが自分の意見 が述べられていれば、たった一行だけでも優良可の最高合格点”優”が与え られた。

この時筆者が提出したのは、「記事は客観的に記述するのが新聞の責任」 であった。

記事の書き方に、記者個人の考えへ誘導しようとするかのような書き方は 気に入らない、といった内容である。

例えば記事のこんな結びの書き方―。

 1) 今後各方面の批判を呼びそうだ。
 2) この件論議を巻き起こすに違いない。
 3) といった狙いがある、との見方がある。
 4) 今後を占う意味で注目される事態だ。
 5) といった点は当事者にとって最大の難問になる。
 6) この結果は今後の行方にも影響しそうだ。
 7) より一層の責任が問われる。
 8) といった声が多く、このままだと一波乱ありそうだ。
 9) など事態の悪化は避けられそうにない。
10) 予想以上に厳しい状況に追い込まれている。

といった表現の仕方だ。

客観性がなく、なんの根拠も示さずにまるで、世論がその方向に向かって いるかのような記事の結び方はケシカラン、という他はない。

改めて50年前のことを思い出しながら最近の新聞を読んでみると、今も こうした表現の仕方は変っていないことに気づかされる。

1)~10)のような見解には根拠が必要なのに、どう読んでも記者個人の 意見なのではないかと思わせる場合がある。

社会面や経済面でも散見するが、納得のいかないケースは政治面に多い。

こうした気になる記事の書き方は未だに残っていて、上から目線で読者を 馬鹿にしているように感じる。

新聞は週刊誌の視点と同じであってはならない。

当り前のことだが、記事内容は客観的な論拠を示すことが肝要で、もし記 者個人の意見を述べ、世論を誘導したいなら氏名を明記したそれなりの コーナーを設けるか、”社説”として掲載すべきではないか。(完)

120歳ぐらいが限界寿命

naverまとめに最近分かったような話が載っていたんだが 

   http://jp.wsj.com/public/page/0_0_WJPP_7000-458352.html

   https://matome.naver.jp/odai/2133967745629778801

私が読んだ本には(岩波新書 祖父江逸郎著 長寿を科学する 2009年9月18日発行)

生存率曲線の変遷の話が載っていて、グラフを見せながら年齢別の生存率の変遷を紹介しており、『寿命の伸びとともに、生理的老化が比較的長く自然な形で保たれ、病的老化の比較的少ない、つまり病気にかかることが少ないライフスタイルが次第に浸透しつつ・・・人生最後の死を高齢で、「垂直死」という形でむかえる傾向に近づきつつある。』

寿命の指標(限界)ということでは、

『生物の寿命は成長期間の6倍ぐらいと言われている。人の成長期間を20年前後とすると120歳ぐらいが限界寿命という事になる』と。

私にとって120歳は新しい話ではなかったので、ここにメモしておきました。

 ただ私が120歳になるころには、遺伝子技術でブレイクスルーされ、無限の寿命になっているかもしれませんね。楽しみ楽しみ(笑)